トロサバ!

今日も良い日だったと思いたい

身体に刻まれた一番古い傷

今週のお題「一番古い記憶」

どうしてだろう?少し前に私の書いた記事がお題になっている。

koujitokuchan.hatenadiary.jp

もうちょっと前にお題にしてくれていれば。。と思ったが、私がはてなさんの半歩先を行っているんだという気にもなるし、悪い気はしない。

というか、ちょと嬉しい。

今半笑いでキーボードを叩いている。

どうしようか?一番古い記憶について、あらかたのことは既に前のブログに書いてしまった。同じような切り口で掘り下げるのも芸がない。

そこで思いついたのがタイトルの「一番古い傷」である。

傷もまた記憶と言えないこともない

記憶が脳に刻まれたものであって、身体や心に刻まれたのが傷だ。

私の身体に刻まれた一番古い傷はへそである

母の胎内にいる間は文字通り一身同体であった。まったくその頃の記憶は無いが、おそらく人生で一番充足した時代であったろうと思う。

そして私は産まれ落ち、そのときに母と繋がっていたへその緒を切断されたのだ。

そうしないと生きていけないわけであるからしょうがない

このことについてどうこう言うつもりは無い。

しかし。。。

その傷は40を超えた私の中心に今も残っている。言うまでもなく、これは誰にもある傷である。

人間の身体は新陳代謝を繰り返して生命を維持している。聞いた話だが、人間の身体は(年齢にもよるが)約2~3年で完全に新しいものに入れ替わっているらしい。2~3年前の自分は文字通り今の自分ではない、ということだ。

だから身体に刻まれた傷はたいていの場合、治癒するに従って小さくなり、やがて消えてしまう。

しかしへそは消えない

産まれたばかりの赤ん坊から成人するまでの間にほとんどの細胞は入れ替わる。赤ん坊の姿のまま大人になる人なんて見たことない。

しかしへそは?

へそは(相対的に少し小さくなるものの)ほぼ赤ん坊のときのへその大きさで身体の中心に居残り続ける。

不思議だとは思わないだろうか?

もしかしたら、へそが消えないのには医学的に理由があるのかもしれない。

しかし、私が興味をそそられるのは、なぜ遺伝子がへそという傷を残したいのか?ということだ。

へそを傷であるという認識は誰にもない。が、これは傷であり、この傷が無ければ生きていけなかっとという徴(しるし)なんだと思う。

そういう傷もある

これが、現時点の私の仮説である。